最後のアミューズミュージアム

私は今、GOEN enen PROJECTとして、障がい者福祉作業所で作られたものに関わるプロジェクトをいろいろとやらせていただいているが、その活動のスタートとなったのは、2016年2月に浅草アミューズミュージアムで行った商品販売イベント「GOEN enen ENGIMONO」だった。ほとんど何も考えずに、ただなんとなく「やる!」と決めてとにかくがむしゃらにやったイベントだったけれど、それが今の活動に至る、という。。。GOEN enen PROJECTで行ったイベントは2回だが、そのほかにもアミューズミュージアムでは、知り合いのイベントの手伝いにいったりしていたので、思い出深い会場。

そんなアミューズミュージアムが、3月末で閉館となるということで、最後の日のサヨナライベントにご招待いただき顔を出してきた。メイン会場は、ギャラリー展示関係者だけでなく、館内にある劇場関係者のひとびとであふれていたので、私はほぼ「バー潤子(←魔女バイヤーH氏w)」に入りびたり、知り合いと談笑しつつ、次々と手渡されるハイボールや電気ブランを舐めていた。

私たちが一番お世話になったスタッフK氏(左)。この日もお忙しそうだった。

うってかわって、この日は無料公開していたBOROの展示室は人がまばらだったので、最後にゆっくりと眺めてきた。青森県出身の民俗学者・田中忠三郎がコレクトした”ぼろ”とは、山村・農村・漁村などで何代にもわたって継ぎ充てが重ねられてきた衣服だが、今や貴重なテキスタイル「BORO」として世界的にも知られるようになる。ルイ・ヴィトンやコム デ ギャルソンといったファッションブランドが「日本のボロ」をテーマにしたコレクションを発表したり、KunはBOROを解体し現代的に再構築した服を作ったり、VISIVIMも自身のサイトでBOROの魅力を伝えている。

そんなBOROがギッシリ飾られたアミューズミュージアムに、私が初めて訪れたのは、衣服のリユース/リサイクルのことに興味を持ち、いろいろと調べたり活動の手伝いを始めた2013年のこと。その後いろいろ関りを持ちながら、最終的に自分のイベントで、トワルのリユース作品を展示することになったのは、今思うと意味深い。あまり先のことを考えずにやってきちゃっただけなんだけど。。。

そんなBOROの展示を久しぶりに眺めたら、これまでさんざんお世話になった魔女バイヤー潤子氏がモデルとなったどでかい写真がいくつも飾ってあった。これまでも美人だな、と思っていたのだけれど、めちゃくちゃ存在感があって表情も凛としていて、もしかしたら潤子氏はもともと芸能関係者だったのかもしれないな、なんて思いを馳せる。

関係者スピーチでは、田中忠三郎と同じ青森県出身という縁でこのミュージアムを作ったというアミューズ会長の大里氏もやってきて、最後の挨拶をしていたけれど、洒落ててカジュアルで笑いもとって、なるほどこれが芸能事務所会長のスピーチか、、と(笑)。BOROたちはどうなるのかなと気になっていたんだけど、どうやら別の場所で再スタートするとのこと(ある情報筋の話では、日本のかなり西の方)。

喫煙所があるので、よくこの屋上から浅草寺や五重塔を眺めたものだ。

10年間のアミューズミュージアムの歴史の中で、私たちがイベントをやらせてもらったのはたった2回だし、最後にイベントをやったのはもう2年前になるのだけれど、こうして最後の日に立ち会わせていただき、さんざん迷惑をかけたスタッフさんたちに挨拶できたのは喜ばしいかぎり。しかし…2年前に買い取ってもらった商品が、まだいくつか残っているのを見たときは思わず息をのんでしまった。

相変わらず観光客であふれている浅草の街。しばらくは、足を運ぶこともないだろう。また来る日まで。

田中忠三郎『図説 みちのく<a href="http://""“>の古布の世界』(2009年、河出書房新社)

堀内春美/村松みち子『古布を着る』(2017年、主婦の友社)